脳休め

時々実施している自分の中では脳休めと言っているのだが、ネットで検索して見たらこのキーワードで結構ヒットしたので同じ様に考えている人がいることを知ったのだ。

自分で実施していた「脳休め」だが、寝るときの環境を整える為に、音と光を遮断する。

音は完全には無くならないし、光もうっすらとして完全な闇を作る事は出来ないが、それで十分でその環境で眠りにつくとき、また、何も考えずに眠る必要がある。

無心になった状態で寝ることで脳休めが出来ると思っている。

俺が子供の頃に流行った睡眠学習と言うカセットプレイヤーが枕に仕込まれて、寝る前に英語とかのテープを流し続けると言うものだが、寝てる間でも脳は音を聞いて勝手に学習すると言う理屈なんだろうが、これはあまり意味が無い様に思う。

意識しない間に引き出しに物をしまったとしても、何処に何をしまったのかわからないので結局、引き出すことが出来ない事になる。

ただ、詰め込んでいるのは事実なのでなんかの拍子に思い出す可能性も否めないが、その時、時既に遅し役にたたないわけだ。

まぁ無いよりはましかも知れないが、意識してしまって、無意識に取り出せる様にならなければ学習と言うのには程遠い。

ただ、寝てる間にも脳というタンスに物をしまう事ができるのは事実らしく、余計な物をしまい込んでしまうと肝心な時にタンスが一杯でしまう事ができない事になるのだが、これがいくら勉強しても頭に入らない状況ではないかと思うのだ。

そこで、時々実施している音なし光無しの環境で無心で寝る事で脳をリセットしようと言う試みで、なかなか最初はどうしても無心になれなかったわけで、色々と考えてしまったりするのだが、訓練するといつの間にか寝てしまって起きたときぼーっとしていて何をすれば良いかわからなくなる状態に陥る。

これもなれると、起きたときの行動パターンを2,3思い出すことで復帰出来る様になる。

単純にトイレに行って歯を磨いて顔を洗って位で、その間に色々と思い出していくわけだ。

まるでパソコンを再起動したみたいにメモリー内に必要なシステムが一つづつ読み込まれていく様な感覚とでも表現すればわかり易いのでは無いかと思うのだ。

かくして、脳休め、脳の再起動が実施出来た気がしている。

ただ、色々とやる前に準備が必要で、脳を完全に再起動するとこれもパソコンと全く同じで、保存してないデータは無くなってしまうと言う事になる。

昼間色々と行ってきた作業や行動をちゃんと記録しておかないと記憶だけではだめだと言う事で、その為に、ブログを書いたり日記を付けたり、起きたとき又は、数日たった時に思い出せるキーワードを仕込んでおく必要がある。

そうすると、今までやってきた仕事を記録する方法として、俺の場合はプログラマーなので、SVNでは出来ないローカルコミットをGITを使って実施するのだ。

SVNよりGITを使うのはローカルコミット出来るので、今までやった変更点などを一端保存する事ができるのが良いのだが、今回のプロジェクトもSVNでやらざるを得ない様だが、まぁそれはそれで、自分だけGIT管理すれば良いので特に問題は無い。

後はこないだソースネクストで買ったズバリ日記帳2に書いたり、本気でやり始めた家計簿出納帳ひかるをつける様にくせづけている。

こう言う状況を整えて脳休めをいつでも出来る様になったのだが、勿論、最初の頃は脳安めのリスクを知らずにやってしまい、何度も同じ仕事を繰り返してしまったりしたが、まぁ一度やっているので大したリスクでもなかったので気合いでリカバリーしたものだ。

厄介なのは軽く受け流した会話でその時、記憶に留めておかない様な事はすっかり忘れていて、これもなぜか思い出せるようになってくるのだが、最初は脳休めが原因だと言う事に紐付かなかったので、歳のせいで物忘れが酷くなったのかなぁとは思ったが、最近はこの辺も復旧してきた様に思う。

人間の脳と言うとても優秀なコンピュータも本当にパソコンと一緒で再起動が必要だとつくづく思うのだが、考えが偏ったりしているときに再起動すると元の状態に戻せるので脳休めはおすすめだ。

この仕組みを利用して人を洗脳する方法も思いつくわけで、言葉巧みに脳休めを実施させ、その際、脳が起動する時のスタートアップに洗脳させる為のウィルスを仕込むこことで必然的に偏った考え方を植え付けるなんて事が理屈ではできそうだなぁと思ったりする。

何でもそうだが、俺は合理的懐疑主義なので、常に物事の本質を知らないとなかなか答えを導くことをしないOSが搭載されている様で、その本質を見抜けない事は否定も肯定もしない様になっている。

これは、実はサイコパス的な考えなのではないかと最近思い始めている。

俺が完全にサイコパスだとそうそう友達も出来なかったと思うが、このサイコパス的な考えと上手に生きてきたのかなぁと振り返るとそう思うのだ。

リセットする事で、今までオブラートに包まれていたサイコパス的思考がむき出しになってきているのだが、この事を受け止めることで研ぎ澄まされたサイコパス的発想が出来る様になってきたのではないかと思っている。(まだまだだが)

コントロール出来るサイコパス的発想は強力で、自分に取ってスゴくポジティブ思考になるのだ。

しかし、本質は自分自身はサイコパスを自覚しているので、合理的懐疑主義と言う事で自分自身を言い聞かせているのかも知れない。

まぁ脳休めした後はスゴくスッキリする事は良いことなんだろうと思うことにしている。