京都で着物レンタル

ここ最近、祇園界隈で着物のレンタル屋がものすごく増えてきた。

着物の種類と言うのは、糸に色が付いていて柄を組み立てながら織るのが「紬」だ。

また、白い織り物を作って後から染めるのが「小紋」と言う

レンタル着物はそのどちらでも無く、プリント柄で染めてもないし織ってもない布なのだ。

他に「お召し」と言う種類もあって、これは紬と同じ種類として扱われていて、繭から糸を作る際に、ヨリを強くかけることで独特の感触の生地の着物だ。

振り袖に至っては、最初に仮仕立てをして柄を描いて、一端反物に戻して絵付けをしてまた仮仕立てをしてから着る人に合わせて本仕立てをすると言う手の込んだ着物だ。

なので、祇園界隈のレンタル着物の料金は数千円程度と言う事で、プリント柄の着物しか無いので、どうしても貧素に見えるのは仕方が無い。

まぁ柄の重みと言うか、着物が高い理由と言うのはそう言うことだ。

そして、俺の姪と言う事は中国人である。

姪は日本の学校に通っていたので日本語はまったく問題無いバイリンガルだが、本質は中国人だ。

中国人が経営する着物レンタル屋にサービスの質を求めるのは少々無理があるだろう。

この店の口コミや評判をチェックして見たところ、じゃらんの口コミ評価では★5つと★1つが極端だった。

辛うじて4.5と高評価?では有ったが、価格に応じたサービスと納得出来れば★5つ。

価格も安くサービスの良さも求める日本人の評価は★1つになる傾向がありそうだ。

しかし、評価の書き方に問題があると感じたわけで、低い評価をするコメントは一往に、個人的な感想であって、例えば納豆が好きな人と嫌いな人の評価と何ら変わらない。

納豆が好きな人はこんな旨いご飯に合うのは無いと言うだろうし、嫌いな人は見ただけで吐きそうになるし臭すぎると言うコメントになる。

要するに食わず嫌いなのだ。

コミュニケーションの考え方の問題で、私が思うコミュニケーションと言うのは相手の事を100%理解する事に注力する事に有る。

よって、必然的に相手も自分の事を理解しようとしてくれ、コミュニケーションがとれるのだ。

しかし、どうも一般的な概念としては自分の事を理解させようとする事に注力している様でこれではコミュニケーションのバランスが崩れるために上手く行かないのでは無いだろうか。

私は中国人とコミュニケーションを取ることは苦では無いので、嫁も中国人だ。

勿論、日本人とのコミュニケーションも何ら問題無いわけで、本質は相手の事を理解しようとする姿勢を見せれば良いだけだ。

もっとわかり易く言えば、赤ちゃんとコミュニケーションを取ろうとする際、自分の事を赤ちゃんにアピールするのでは無く、とにかく何で泣いているのだろうかと必死で赤ちゃんの気持ちを理解しようとしてないだろうか。

それが本来のコミュニケーションであって、言葉をしゃべるようになった相手だと、相手側に以下に自分を理解してもらってコミュニケーションを取ろうとしているわけだ。

ここがポイントで自分でいくら着飾ろうが何をしようが、それは相手がどう判断するかなどコントロールする事は不可能なわけで、相手に何を言っても全く意味が無い。

ならば、合理的に考えると、相手の事を理解しようとするのは自分のなかでコントロール出来るので、なんら問題無い。

そう言うことで、外国人のスタッフであろうが、皆、客に対して理解しようとしているはずだが、その客自体がスタッフの事を理解しよとしなければコミュニケーションなんて上手く行くはずが無い。

そう言う意味で姪は中国人でスタッフも中国人で構成したレンタル着物 麗に行く際は、その点を頭に入れておけば、上手に使うことが出来ると思う。

とにかく、中国人の概念と言うのはストレートでがさつで、日本文化の「おもてなし」なんていう概念は全く無い文化である訳だが、その概念を相手に押しつけようとしてもそれは無理だろう。

逆に、中国人のストレートでがさつな概念を押しつけられても、一般的な日本人にはきっと出来ないはずだ。

そう言う意味で、この店に行く際は少し日本人の概念を割り引いて行く必要があるだろう。

ただ、上手くコミュニケーションが取れれば、セコさはないので安心して良いと思う。