激辛呪縛

昔から好きだったわけでは無いが、俺が10代の頃40年ほど前なんだが、LEEの50倍カレーというのがあった。

激辛に填まったのはこの50倍カレーが始まりで、当時はカレーの辛口と言っても市販されているもので激辛と書いてあってもそれは普通に辛口っぽいだけで辛いとは言えない物ばかりだった。

そこに来て50倍カレーの衝撃は凄まじく息が止まるほど辛く全部食べる事は出来たが激辛に立ち向かう感覚が忘れられず、当時、激辛カレーを出している店があってそこで食べたカレーは最後まで食べきる事ができなかった。

その当時を思うと辛いと言う物は一通り試してタバスコをケチャップの如くパスタにかけるのはいわば日常になっていた。

しかし、辛さの単位と言う物があって調べて見るとタバスコやCoCo壱番屋の10辛は1200スコルビと言うスコアということが確認できた。

そして、ペヤングの獄激辛をテレビ番組で知ってなんだそんなに辛いものが市販されているわけがないと思って探したらビレッジバンガードに売っていたので入手した。

これが獄激辛の始まりで、この初代の獄激辛は45万スコルビでタバスコやCoCo壱番屋の1200スコルビと桁が違った。

警察で武器として使っている唐辛子スプレーなる物があるらしいのだが、この容疑者なんかを制圧する武器のスコルビは約30万スコルビということで当然、目になど入ろうものなら痛くてどうしようもない。

そういう辛さなんだということが判り、初代の獄激辛からカレー味、にんにく味に担々麺と色々バリエーションが作られ最後にファイナルが発売され、このファイナルは90万スコルビというとんでもない辛さで終止符だったはずだ。

なのに、速即汗プラス一味プラスが発売されてしまった。

これは、恐らくファイナルよりは辛くなかったので初代の45万スコルビなんだと思う。

ファイナルはとても食べられる物では無く喉に直撃する辛さ、痛さで激辛を食べるのを辞めようと思って卒業したほどの辛さだった

だからこの早汗獄激辛を買うのには躊躇した。

しかし、獄辛呪縛からは逃れるすべも無く抗えない

そして、食ったら激辛好きを呼び起こしてしまった様でもう既に10個も食べてしまった。

激辛は味では無いので慣れると食べる事ができる様になるが、ここまで激辛過ぎると十分慣れていないと耐えがたい痛みにのみ込まれてしまうので注意が必要だが、激辛になれるのはそう難しい事では無く、1つの思い込みを打ち消す事が出来れば耐える事が出来る。

それは、すするほど熱めの白湯を口直しに飲むことで舌の痛さは解消でき、胃への負担も忘れ去ることが出来る。

水や氷、牛乳等は意味が無く、熱めのお湯、若しくはホットコーヒーが有れば辛さをあっと言う間に抑える事ができる。

コーヒーはブラック派なのでミルクや砂糖を入れたホットコーヒーでも辛さを癒やすことが出来るかもしれないが、余計な味を入れない方が良いようにも思う。

辛さは20代の頃、タイ人と同棲していた事があって、当時はネイティブタイ料理の店ばかり通っていたわけで、それは毎日香辛料付で、タイ料理は辛い料理では無く世界でも珍しく、甘い、辛い、酸っぱいという3味を1つの料理で味わえる事にあり、和食でも洋食でもこの3味を合わせた料理は俺が知る限り味わったことが無い。

それがトムヤムクンで辛いのか酸っぱいのか甘いのか不思議な味でこれが世界で注目を集めている理由なのだ。

しかし、この獄激辛シリーズにはその易しさは微塵も無くただただデスソースを麺にまぶして辛さを体験する兵器でしかない。

ところが、この激辛になれることが出来ると激辛の向こう側を見る事ができる様になり辛さの果ての味わい深い味では無く恐らくアドレナリンが出てくるんだろうと思う。

不思議な事に、この激辛になれてくると汗腺も開かなくなり、普通にお腹が減った際にカップやきそばとして食することが出来るのだ。

その秘訣は書いたとおり熱めの白湯であり、これが一般的な社会通念に縛られている人には出来ない技で激辛が克服出来ない状況をつくっている。

と言っても激辛を制覇する必要は全く無いのだが、無意味な行為では無く、重要なのは社会通念に束縛されない事実があると言う事だ。

この体験をすることで、一般的な物の考え方に対して思い込む事が如何に発想を狭めてしまう事かがわかって来た。

なので、激辛が好きな人は案外、発想力が豊かでアイデアマン的な人格では無いかと思っている。

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